7.温州みかんはどうして発現したか

 「温州みかん」はどこで生まれたのか?日本の柑橘類の多くは中国大陸から移入されている。また、中国浙江省に「温州」という地名もある。ということから、温州みかんは中国からの輸入という説もあるが、学者間での統一見解を説明しておきたい。
 温州みかんの産地問題についての第一の研究者は田中長三郎博士(前述紹介)である。博士は中国各地を実地踏査され、中国には「温州みかん」が存在しないことを自著の「柑橘の研究」で発表している(22)。では何故「温州」という紛らわしい名前がついたのか?
 「鹿児島県戦後柑橘農業史」の「果樹栽培の沿革」の項に温州みかんの由来が記載されている(23)。「温州みかんの原木のおいたち」としては、田中長三郎博士の研究を取り上げている。【田中博士は永年にわたる調査から「温州みかん」は鹿児島県出水郡長島(現東町)が原産地である。中国浙江省や黄岩県から伝来していた「早桔」か「慢桔」または「天台山桔」類のミカンが長島で『偶発実生』したもので、時期は《江戸初期》のころ発現したものであろうと結論された】としている(24)
 その後昭和11年(1936年)に、鹿児島県果樹試験場技師岡田康雄氏が出水郡東長島村鷹巣(現東町)山崎司氏の畑地において、樹齢300年以上と推定される温州みかんの古木(岡田氏はその樹は接ぎ木しているので先代があったと思われるとの記録を残している)を発見し、田中博士の推論の正確なことを実証した(25)。また、岡田氏は出水郡下で樹齢100年、120年、150年の古木も同時に発見しており、それらと対比して樹齢300年と推定している。その木は幹周180センチ、樹高7メートルの巨木であったが、原木は惜しくも太平洋戦争で枯死した。しかし、その側に原木から接ぎ木した三代目(岡田氏の発見した古木は2代目)が育っているという(26)
 なお、田中博士は偶発実生の温州みかんの原木は中国からの早桔、慢桔、天台山桔であろうとしていたが、最近にいたって農林水産省果樹試験場カンキツ部でのDNA鑑定では「クネンボ(九年母)」に遺伝子が似ているという研究がある(27)
【九年母】

 九年母(クネンボ)(室町時代伝来)はインドシナ原産で、南中国から沖縄を経てわが国に伝来し、紀州みかんや柑子とともに江戸時代までの日本の主流品種であった。果実は温州蜜柑に似て、扁球形で大果、糖、酸ともに高く種が多い。独特の臭気があり、人により好き嫌いあるミカンである。現在は経済栽培されていない。
 さて、突然変異に発現した「温州みかん」は当時、肥後の国天草郡西仲島(鹿児島県長島となり 現鹿児島県出水郡東町)であったことから「なかじま蜜柑」や「長島蜜柑」と呼ばれていた。その後は「唐みかん」や「李夫人(リウリン)」とも呼ばれる。
 「温州みかん」が文献に登場するのは、1833年の南海包譜に「李夫人、一名温州蜜柑」との記述がある(日本マンダリンセンター調べ)(28)。次に嘉永元年(1848年)に書かれた、岡村尚謙の「桂園橘譜」に「温州みかん」が写生図で紹介されており、これが温州みかんの正確な記録を載せた最初とされている。これを明治の碩学者田中芳男、池田定之等の諸氏が採用し、その後農務省を中心として此の名が広く用いられようになり、『温州みかん』に統一されたという(29)
 天保2年(1830年)P・F・フォン・シーボルトは長島みかん(温州みかん)を初めて欧米に紹介している。続いて明治9年(1876年)G・R・ホールが温州みかんの苗木を初めて米国に輸出した。この苗木は薩摩から出荷されたので「サツマ・マンダリン」(Satsuma Mandarin)が英文名となっている。

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