明治以降の有田みかんの 
    販売体制と輸送の変遷
 The Transition of Sales Systems and Transportations of Arida Mikan
(Arida Mandarin) after the Meiji Era
御前 明良
Misaki, Akira
ABSTRACT
  The grown and the expansion of shipments of Arida Mikan (Arida Mandarin)
for several centuries depend on the continuous improvement of sales systems and transportations. The improvement of sales systems was realized by the establishment and the reform of cooperative societies. The improvement of transportations was promoted by revolutions of the means of transportation such as ships and railroads. The transition of sales systems and transportations of Arida Mikan (Arida Mandarin) after the Meiji era is discussed in detail.
 時は貞享2年(1685年)11月。風雨逆巻く嵐の中、名にしおう熊野灘・遠州灘を乗り切った紀伊国屋文左衛門の決死の密柑輸送によって、天下に名をなした「有田ミカン」。紀文はその勇猛果敢さに加え、独創的な商才を発揮し、木材商として、江戸切っての豪商として知られるようになる。
 そして「紀文」といえば「有田ミカン」が連想されるのであるが、その有田ミカンは“蟻の熊野詣”で知られる熊野街道に沿った有田郡糸我庄(現有田市糸我町)で商品化された。同地では、古代の頃からミカンが自生し、室町時代後期には熊野参詣の都人たちの都への土産品として、有田の「密柑」が珍重されていた。
紀州小ミカン
 その有田密柑の品種改良に取り組んだのが糸我庄の伊藤孫右衛門である。伊藤孫右衛門は肥後の国八代郡高田(こうだ)村(現八代市)においしい「ミカン」があると聞き、天正2年(1574年)にはるばる高田を訪ねて「高田小ミカン」の苗木を入手、それを在来からの自畑の密柑の木に接ぎ木して品種改良を図り、数年の苦労の末に実ったのが「紀州小ミカン」である。伊藤氏は近隣の保田庄、宮原庄、田殿庄にも栽培を奨励し、密柑産地としての礎が次第に固まっていく。
 紀州小ミカンこと「有田ミカン」はその味の良さが評判となり、堺、大阪、京都への出荷が年々増えていく。
 京都・大阪で売れるのであれば、花の都「江戸」でも売れる筈と、海路1ヶ月近くもかけてミカン輸送に賭けた男がいた。それは宮原組滝川原村の「藤兵衛」であった。寛永11年(1634年)、藤兵衛の江戸初送り400籠(6トン)はその美味なることから、一籠半(22.5キロ)が一両という高値で売れた。
 「有田ミカン」が世に知られることとなった背景には、紀州藩初代藩主浅野幸長(よしなが)・長晟(ながあきら)兄弟(頼宣入国により安芸の国へ転封)と徳川家康第十男頼宣の殖産政策によるところが大きい。就中、徳川御三家の威光のある紀州藩の産業保護の恩恵は大きい。紀州藩も山野が多く、水田に適地でない有田の地の山々を開墾して、外貨を獲得できるミカンを保護奨励することによって、「密柑税(御口銀)」という課税が出来、藩財政の貴重な財源確保ができた。
 有田ミカン発祥の地として、農業収入の増加を図った有田の人々は『密柑方』という共同出荷組織(日本最初)を寛永年間から享保年間(1624〜1736年)にかけて作り上げ、ミカンの荷受け、輸送手配、資材手配・問屋への販売・代金回収、費用割り当て等を行う。藩も密柑方に「密柑税」を徴収させたことから、密柑方の役員に半官半民の特権を与えた。
 問屋との折衝で江戸に下る役員には、紀州藩の武士に準じる通行手形と帯刀を許し、道中や江戸での活動がしやすいよう支援した。これは他藩にないユニークな新システムで封建時代にあって民主導に官がバックアップするという近世経済史上でも特筆の販売システムと言えよう。
 密柑方による販売が江戸末期まで続き、大きな成果を上げるのであるが、江戸時代の終焉により、有田のミカン販売体制も紆余曲折、様々な試行錯誤を繰り返しながら、明治・大正・昭和時代、そして太平洋戦争、敗戦、GHQ統治下の農地改革等を経て、農業協同組合法が制定され、農業協同組合組織が全国的に生まれていく。
 今回は、全国初といわれる、有田のミカン共同出荷組織である「密柑方」の明治・大正・昭和に入ってからの変遷と農業協同組合成立までの経緯並びに輸送について概説する(1)。 
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