みかん栽培の歴史

有田みかんの歴史は天正2年(1574年) 伊藤家六代孫右衛門が 肥後国八代より 小みかんの小木2本を持ち帰ったことに始まります。

江戸時代には日本初のみかん共同出荷組織「蜜柑方」を設置し、生産量が飛躍的に伸び全国に流通を広げました。

江戸末期には紀州みかんの出荷量がおよそ15,000tに達しました。以後、日本の食文化にみかんを定着させ、日本のみかん産業を牽引しています。

室町時代
(1392~1573年)

在来のみかんを各地で栽培 (出典: 糸我社由緒(1810年))

  • 永享年間(1429-1440年) : 糸我の庄中番村の地に橘一樹自然に生え出て、年々に実を結ぶ
  • 文正年間(1466年) : 山畠に植え、近郷へも植える
  • 大永年中(1521-1527年) : 接ぎ木始まる

安土桃山時代
(1573~1603年)

1574年、伊藤孫右衛門が肥後国八代より「八代の小みかん」の小木2本を持ち帰る (出典:紀州蜜柑傳来記 (1734年))

在来のみかんへの接ぎ木により栽培を拡大
優れた系統を選抜

江戸時代
(1603~1868年)

紀州藩による栽培奨励・保護政策 (出典:紀州蜜柑傳来記(1734年))

  • 生産面 : 山林の開墾、石積み階段園の築造
  • 販売・流通面: 日本初のみかん共同出荷組織「蜜柑方」の保護
    (輸送船への葵紋掲示の許可・専用の船荷受け場の設置・役員の苗字帯刀の許可 など)

小みかんは江戸・上方・尾張などに出荷

  • 江戸末期の紀州みかん出荷量 : 約15,000t (江戸の全住民がシーズンに毎日1個以上食べた量)
紀州みかんにより、日本人の食文化にみかんが定着

明治時代
(1868~1912年)

全国に先駆け 「紀州小みかん」 から 「温州みかん」 への転換を進める。

温州みかん: 1500~1600年頃、鹿児島県で偶然発生したとされる 「種子がない=子孫繁栄に繋がらない」として、江戸時代には普及せず。

  • 1813年 : 鹿児島県より温州みかんを移入 (出典:紀州柑橘録)
  • 1881年 : 有田→東京神田への温州みかん 初出荷 (出典:江戸のみかん一明るい近世像)
  • 1895年 : 鹿児島県での温州みかん 栽培奨励 (出典:鹿児島県戦後柑橘農業史)
全国各地で本格化する柑橘栽培の発展を牽引
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