日本のみかん産業を牽引
有田地域は、日本で最も生産量の多い果実であるみかんの栽培を日本で初めて生計の手段にまで発展させるとともに、400年以上にわたり持続的発展を遂げてきました。
室町時代より在来みかんを栽培しており、安土桃山時代には熊本県より小みかんを導入し、優良系統の選抜を重ねることで、江戸時代に一世を風靡した「紀州みかん」を育成しています。
みかん栽培を生計の手段にまで発展
1634年 | 1635年 | 1656年 | 1698年 | 1720年 | 1738年 |
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6t | 30t | 750t | 3,750t | 7,500t | 5,250t |
みかん栽培を戦争からの復興の柱に 高品質みかんの生産や多様な出荷組織の共存により価格低迷期を乗り越え。
最も就業者数の多い業種が「農業」。
「温州みかん」を基幹品目として、集出荷業・加工業・資材・農機具等の製造業などの関連産業も発展。
宇和島市吉田町への温州みかんの導入
説1 : 1861年、紀州から苗木を購入 (吉田町・ 愛媛県のみかんの起源)
説2 : 立間村の住民がお伊勢参りの帰りに、紀州から木を持ち帰る (愛媛県柑橘園芸史)
1655~1660年、常磐小左衛門 (庵原郡富士川町) が紀州より小みかんの苗木を持ち帰る (静岡県柑橘史)
1789~1800年、宮田辰次(勝浦町) が紀州への行商時に持ち帰った柑子を植え付けた (徳島の園芸)
1619年、浅野長晟(紀州藩から移封)が、紀州より紀州みかんを取り寄せ、増殖 (広島県の果樹来歴書)